移民強制ダイアリー

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シアワセの反対語は技術革新

森に住んでる人たちは何かと不便そうに見えて
不幸には見えない。
都市に住んでる人たちは何かと便利そうに見えて
やるべきことが多く幸せには見えない。
森の人は果実や野菜や魚や獣をとって食べる。
街の人は社長に奴隷のように働かされてお金をもらう、それを市場へ行き食べ物にかえる。
子供たちにどちらになりたいか聞いてみたい。
任天堂のゲームをやって目が悪くなることがはたしてシアワセなのかな?僕は子供の頃、皆で集まって任天堂のゲームもやったりしつつも、果物畑を走り回って虫をつかまえたり、すごく幸せだったような気がする。TVは見たけど新聞は読まなかったしそのころコンビニもネットもなかった。野良犬猫を食べようと思わなかったのが足りなかった点かもしれない。お店でお金の数え方はおしえてもらったけど魚釣りは教えてもらってない。算数はいやなほどやらされたけど料理をおしえてもらってない。料理は最近じぶんで適当にするようになった。水道水が臭いのでミネラルウォーターを買って飲むようになったが、高くつくので今は自分で水汲みにいっている。なんだか根本的に人間の育ち方がまちがってる気がする。生まれた時から都会にいる人は自分が人間であることを忘れてサラリーマンていう身分になれるのかな?そもそも大事な時間をお金に交換して、さらに交換した食べ物は防腐剤まみれで薬を食ってるようなものだ。都市に安価で新鮮な食料があるわけがない。生命としては異常事態だ。こういう状況に僕は20代ではまったく気づかなかった。都市ではニンゲンの判断材料が肩書き・見てくれと金だけである。すでに病的なシステムだ。そんなところに幸せがあるわけない。結婚してもずっと肩書きと残金ばかりつきまとう。都市はすべて数字に支配されてる。森の人は数字に支配されない。森の人は幸せだ。くだらないブログを打つにしても都市より森の人のほうが幸せだ。森の人はアクセス数もアフィリエイトの売り上げも気にしないから。ぼくは果実の苗を植える人を応援したい。その木が腐っても町の人が違法だと言っても新しい苗木のほうが大切だ。間違ってもそれを引っこ抜く側にはならない。政府は国家の食を守るために金よこせ!